伝統的建造物群保存地区の歴史と沿革
地域の沿革
函館は,古くから天然の良港として知られ,海産物交易の集散地として栄えてきました。 寛政11(1779)年,幕府はロシアの南下を脅威と捉え,蝦夷地を直轄領とし,函館に奉行所を設置しましたが,この場所が現在の伝建地区の中となっており,明治以降は,開拓使函館支庁が置かれるなど,政治,経済,文化の中心地となってきた場所です。 幕末期の函館が大きく変化をしていくのは,開国による諸外国文化の流入であり,安政元年(1854),日米和親条約の締結により,幕府は函館と下田の開港を決定し,乗組員の休養や物資の補給地として外国船が函館港に盛んに入港し始めるようになります。 その後,米,蘭,露,英,仏の欧米5カ国と修好通商条約が締結され,安政6年(1859)に,函館は長崎,横浜とともにわが国最初の対外貿易港として開港します。この影響により,領事館が新築されたり,キリスト教会が建てられるなど,異国情緒豊かな町並みが形成されたのです。 また,函館のまちは,しばしば大火に見舞われていますが,明治11年,12年に発生した大火に伴う復興事業により,函館の市街地の構造は根底から変わることになります。..